こんにちは。名古屋勤務の日沖です。
今回は中島敦さんの山月記について書きたいと思います。
こちらの本はいくつかの短編小説の組み合わせで「李陵」 「弟子」 「名人伝」 「山月記」
「悟浄出世」 「悟浄歎異」の6編で構成されています。
『名人伝』
天下第一の弓の名人になろうと志した紀昌。彼は師を探し名人飛衛に弟子入りをした。
そこで彼が飛衛に課される修行は、まず瞬きせざること を学ぶこと。
彼は妻の機織り台を使い2年の期間を経てこれを習得する。
次に師匠から視ることを学べといわれ3年の修行をし、虱が馬ほどの大きさに見えるようになる
までになる。そして師匠飛衛から奥義を伝授される。
その後紀昌は飛衛を倒そうとするが果たせず、身の危険を感じた飛衛は山にこもる甘蝿老師を
紹介する(この老師のに比べれば飛衛の技量は児戯に類するといわれる)。
そして9年紀昌はこの老師のもとで修行を積み天下一の名人となり山を降りた。
その後の紀昌は弓さえ手に取らなくなり気だけでしのびこもうとして来た者を倒せる腕前になる。
そしてついには、彼が死ぬ2年前弓をみてもその名も使い方も忘れ果てていた、という物語です。
これは紀昌が道具に制約されず無意識のうちに身体が状況に応じて反応できる境地に至った
のではないかと思う。よく剣の名人は自分が相手を斬ったこともわからず相手も斬られたことに
気がつかない、何もなかったかのように自然に相手を斬るといいます。
このレベルが「弓を忘れた」ということと同じではないかなと思い小説ながら関心させられる
かぎりです。
『山月記』李徴は天才として名が知られ若くして高位にのぼるがそれをよしとせず詩家として
名を100年残そうと官を辞し人と交わりを絶ち試作に耽る。
後に生活が困窮し再び官職に就こうとするがかつての仲間は出世し自尊心を傷つけられた李徴は
発狂し行方不明になってしまう。李徴の友人袁惨が旅に出たとき虎になった李徴に会い
語り合う。自分がその性格のために持ち合わせていた才能を空費し、自分よりもはるかに
才能が劣っていたがそれを社会のなかで絶え間なく磨いた為に大詩家となった者がたくさん
いる、と告げる。このやりとりに李徴の悲しみとやりきれなさ虎になった自分へのやりきれなさ
が感じられせつなくなる作品です。